2026年8月、アメリカ競馬界を揺るがす衝撃的なニュースが駆け巡りました。米国競馬の二大勢力であるチャーチルダウンズ社(CDI)とニューヨーク競馬協会(NYRA)が手を組み、2027年シーズンから新たなシリーズ戦「サラブレッド・チャンピオンシップ・シリーズ(Thoroughbred Championship Series)」を創設すると発表したのです。
全6戦、総額500万ドル(約7億5000万円)のボーナス賞金プールを掲げるこの新構想は、単なるレース体系の改定にとどまらず、伝統的な「アメリカ三冠(トリプルクラウン)」の枠組みすら揺るがしかねない巨大なビジネスインパクトを含んでいます。なぜ今、このような新シリーズが誕生したのか? そしてなぜ、伝統ある三冠レースの第2戦「プリークネスステークス」はこの一大プロジェクトに含まれていないのか?
本稿では、日本人には馴染みの薄い「米国競馬の複雑な組織構造」をひも解きながら、プリークネスSが直面する裏事情、そして新設される「サラブレッド・チャンピオンシップ・シリーズ」の全貌を解説します。
分断される「全米競馬」のリアル〜JRAとは全く異なる米国競馬の組織構造
日本の競馬ファンにとって、「競馬の主催者」といえばJRA(日本中央競馬会)や地方競馬の各主催者(都道府県や一部の組合)を思い浮かべるのが一般的です。特にJRAは全米・世界の競馬界と比較しても類を見ない統一された中央集権組織であり、全国の主要競馬場、馬券発売網、番組編成、ルール制定を単一の組織が一元管理しています。
しかし、アメリカ競馬にはJRAのような「全国を束ねる単一の統括団体」が存在しません。
米国競馬は、州ごとの行政機関である「州競馬委員会(State Racing Commission)」がルールを管轄し、実際の競馬場運営や馬券発売は個々の民間企業や非営利団体(トラックオペレーター)がバラバラに行っているという、極めて分散化された構造を持っています。全米の競馬場を支配する主な運営組織(トラックオペレーター)の全体図は以下の通りです。
【米国主要競馬運営組織(トラックオペレーター)の分類】
チャーチルダウンズ社(CDI / Churchill Downs Incorporated)
- 組織形態: 上場企業(Nasdaq: CHDN)
- 主な所有場: チャーチルダウンズ(ケンタッキー州)、フェアグラウンズ(ルイジアナ州)など
- 看板レース: ケンタッキーダービー
ニューヨーク競馬協会(NYRA / New York Racing Association)
- 組織形態: ニューヨーク州からフランチャイズを受けた非営利法人
- 主な所有場: サラトガ、ベルモントパーク、アケダクト(いずれもニューヨーク州)
- 看板レース: ベルモントステークス、トラヴァーズステークス
ストロナック・グループ(The Stronach Group / 1/ST Racing)
- 組織形態: 非上場の巨大プライベートエンタープライズ
- 主な所有場: サンタアニタパーク(カリフォルニア州)、ガルフストリーム(フロリダ州)など
- 看板レース: サンタアニタハンデ、ペガサスワールドカップ
その他・単独独立系トラックオペレーター
- キーンランド協会(ケンタッキー州): キーンランド競馬場を運営
- デルマーサラブレッドクラブ(カリフォルニア州): デルマー競馬場を運営
- オークローンパーク(アーカンソー州): オークローンパーク競馬場を運営
このように、アメリカ競馬とは「独立した巨大メディア・興行企業たちが、それぞれ自前の競馬場と看板レースを持ち寄り、互いに顧客や放映権収入を競い合っているマーケット」なのです。
なぜ「プリークネスS」は入っていないのか?〜所有権移管と三冠戦線の分断
新シリーズの発表を受けて多くの競馬ファンが抱いた最大の疑問が、「なぜアメリカ三冠の第2戦であるプリークネスステークスが含まれていないのか?」という点でした。
アメリカの「クラシック三冠」は以下の通り、開催場所も主催者も全く異なります。
- 第1戦:ケンタッキーダービー(5月第1土曜)
- 主催:CDI(ケンタッキー州・チャーチルダウンズ競馬場)
- 第2戦:プリークネスステークス(5月第3土曜)
- 主催:メリーランド州[旧ストロナック・グループ](メリーランド州・ピムリコ競馬場)
- 第3戦:ベルモントステークス(6月第1または第2土曜)
- 主催:NYRA(ニューヨーク州・ベルモントパーク競馬場)
ケンタッキーダービー(CDI)とベルモントS(NYRA)が参加しているにもかかわらず、プリークネスSがこの輪から外れた背景には、「ピムリコ競馬場を巡る激動の所有権移転」と「CDI×NYRAによるビジネス上の囲い込み戦略」という2つの理由が存在します。
1. ピムリコ競馬場の所有権移転と過渡期の混乱
プリークネスSを開催してきたボルチモアのピムリコ競馬場は、長年にわたりストロナック・グループ(1/ST Racing)が所有していました。しかし、施設の老朽化や老朽化に伴う再開発の難航を受け、2024年7月に歴史的な方針転換が行われました。
ストロナック・グループはピムリコ競馬場の所有権をわずか「1ドル」でメリーランド州の州営機関である「MTROA(メリーランド州サラブレッド競馬場運営局)」へ譲渡・移管したのです。
現在、ピムリコ競馬場は州の主導のもとで数億ドル規模の全面改修工事が進められており、インフラ面・組織面ともに大きな「過渡期(トランスフォーメーション期)」にあります。このような行政主導の組織再編の渦中にあったため、新シリーズのような民間の巨大ビジネス協定に迅速に合意・参画できる状況になかったという地理的・組織的事情があります。
2. CDIとNYRAによる「2大巨頭」の商業的同盟
もう一つの理由は、よりストレートな商業的戦略(ビジネスの力学)です。
CDIとNYRAは、全米の競馬場運営組織の中でも圧倒的な資金力とメディア露出度を誇ります。今回両者が組んだ背景には、自社が権利を持つレース(ケンタッキーダービー、ベルモントS、トラヴァーズSなど)の価値を相互に高め合い、テレビ放映権やスポンサー収入を独占・最大化したいという強力な動機があります。
他グループの管轄であるプリークネスSをあえて外すことで、「CDI + NYRA = 全米サラブレッド競馬の主導権」という構図を強固にする狙いが見え隠れします。この動きは現地メディアでも「伝統的な三冠体系に対する事実上の宣戦布告」「プリークネスSの仲間外れ」として大きな物議を醸しています。
「サラブレッド・チャンピオンシップ・シリーズ」の全貌
ここからは、2027年からスタートするこの注目の新シリーズの具体的な中身を詳細に紐解いていきます。
1. シリーズの基本コンセプト
「サラブレッド・チャンピオンシップ・シリーズ」は、これまで単発のビッグレースとして点在していた3歳馬(Thoroughbred 3-Year-Olds)の競走を、「5月から9月まで約5ヶ月間続く、一貫したストーリーラインを持った全米年間チャンピオン決定戦」へと昇華させる試みです。
近年、アメリカ競馬ではケンタッキーダービーを終えた有力馬がプリークネスSやベルモントSを回避したり、秋のブリーダーズカップまで長期休養に入ったりする「出走密度の低下」が深刻な課題となっていました。新シリーズは、統一ポイント制と破格のボーナス賞金を提示することで、トップホースたちがシーズンを通じて何度も直接対決(ライバル関係の継続)を行うインセンティブを創出することを目的としています。
2. 開催スケジュールと全6レースの全貌(2027年開幕予定)
シリーズは全6戦で構成され、いずれも全米最高峰の格付けと伝統を誇るコースで開催されます。
| レース名 | 開催時期(2027年予定) | 開催競馬場 | 主催 | 備考・見どころ |
| ① ケンタッキーダービー (G1 / 2000m・ダート) | 5月1日(土) | チャーチルダウンズ | CDI | 全米サラブレッド競馬の頂点。シリーズ開幕戦。 |
| ② ベルモントステークス (G1 / 2400m・ダート) | 6月5日(土) | ベルモントパーク | NYRA | 改修工事を終え新装オープンした新生ベルモントパークで開催。 |
| ③ マットウィンステークス (G3 / 1700m・ダート) | 7月(日程未定) | チャーチルダウンズ | CDI | 夏の戦線への橋渡しとなる前哨戦。 |
| ④ ジムダンディステークス (G2 / 1800m・ダート) | 7月下旬〜8月上旬 | サラトガ | NYRA | 真夏の真剣勝負。「真夏のダービー」トラヴァーズSへの前哨戦。 |
| ⑤ トラヴァーズステークス (G1 / 2000m・ダート) | 8月下旬(日程未定) | サラトガ | NYRA | 「第4の三冠」と称される真夏の最重要G1。 |
| ⑥ チャンピオンシップレース (新設・距離未定) | 9月(日程未定) | チャーチルダウンズ | CDI | シリーズの最終グランドフィナーレ。 |
2027年は、長らく建て替え工事を行っていたニューヨークのベルモントパーク競馬場がグランドオープンを迎える記念すべき年です。新ベルモントパークの落成とあわせ、この豪華な全6戦のロードマップが始動します。
3. 500万ドルのボーナス賞金とポイントシステム
本シリーズ最大の目玉が、各レースの総賞金とは「別枠」で提供される総額500万ドル(約7億5000万円)の年間ボーナス賞金プールです。
- 統一ポイント制の導入:全6戦の着順に応じてポイントが付与されます。各レースの格(ケンタッキーダービーやトラヴァーズSなどG1レースは高配点)に応じた傾斜配点システムが採用される見通しです。
- 最終ランキング上位者への賞金授与:5ヶ月間のシリーズを通じて最も多くポイントを獲得した馬の馬主(オーナー)、調教師(トレーナー)、生産者等に対し、500万ドルのボーナスが分配されます。
この大規模な経済的インセンティブにより、従来のように「ダービーを一回勝ったら秋まで全休する」といったローテーションを抑止し、陣営に対して「シリーズ全戦を走り抜き、年間王者を目指す価値がある」と思わせる構造を作り出しています。
4. 巨大放映権とメディア展開(FOX vs NBC)
アメリカにおけるスポーツビジネスの主戦場は「テレビ放映権」です。本シリーズでも巨大ネットワーク2社による放映網が敷かれます。
- NYRA主催レース(ベルモントS、ジムダンディS、トラヴァーズS): FOX Sports が放映
- CDI主催レース(ケンタッキーダービー、マットウィンS、グランドフィナーレ): NBC Sports が放映
これまで競合関係にあった2大放送局が、シリーズという共通のプラットフォームを通じて全全米に全国生中継(ナショナル・ブロードキャスト)を実施します。これにより、普段は競馬を見ない一般のスポーツファン層に対しても、長期間にわたって「3歳馬たちの覇権争い」というドラマを提供し続けるマーケティング体制が整えられました。
結び:2027年、アメリカ競馬は「新時代」へ突入する
「サラブレッド・チャンピオンシップ・シリーズ」の創設は、伝統的な競馬のあり方を大きく変貌させようとしています。
150年以上の歴史を誇る「アメリカ三冠(ケンタッキーダービー・プリークネスS・ベルモントS)」というクラシックの枠組みは、今回のCDIとNYRAによる強力な同盟によって、実質的な「新シリーズ主導のビジネス構造」へと再編されつつあります。蚊帳の外に置かれた形となったプリークネスステークスやメリーランド州(MTROA)が、2027年に向けて今後どのような対抗策や再設計を打ち出してくるのかも注目されるところです。

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