あの春の日の「淀」の空気は、今でも私の記憶の奥底に、鮮明な映像として焼き付いています。
1995年。震災の爪痕が深く残る中、本来なら阪神競馬場で行われるはずだった阪神大賞典は、私の実家からほど近い京都競馬場へと舞台を移していました。当時、私はまだ多感な未成年。しかし、その胸に抱いていたのは、同年代の友人が夢中になるようなアイドルや流行りのゲームではなく、ただ一頭の「怪物」への憧憬でした。
その名は、ナリタブライアン。
今回は、一人の少年が怪物の背中に夢を重ね、そして「競馬」という熱狂の中に自分の居場所を見つけようともがいた、あの特別な一日の物語を綴ります。
獣医を夢見た少年と、黒い刺客
当時の私は、ただの競馬好きという言葉では片付けられないほど、このスポーツにのめり込んでいました。将来の野望は「獣医になって、競馬の最前線に携わること」。馬という高貴で脆い生き物を守り、支えたい。そんな純粋で青臭い情熱の根底にいたのが、漆黒の馬体にシャドーロールを装着した、ナリタブライアンでした。
1994年の三冠を圧倒的な力で制した彼を、一度でいいから生で拝みたい。その一心で、私は一人、京都競馬場の門をくぐりました。
しかし、当時の競馬場は、今のような「クリーンなレジャー施設」とは少し趣が違っていました。大人の男たちが怒号と期待を交差させる、一種独特の熱気と殺気。そこに現れた、明らかに場違いな未成年の少年。
「おい、ボウズ。ここは子供が来るところじゃない。帰りな」
馬券を買うわけでもなく、ただパドックで馬を眺めようとしていた私を待っていたのは、無情な警備員の手でした。
「連れ」だと言ってくれた、見知らぬあのおばさん
つまみ出されたゲートの外で、私は途方に暮れました。しかし、ここで諦めるわけにはいかない。怪物の歩み、筋肉の躍動、その瞳の輝きをこの目で見なければ、私の夢は一歩も前に進まないような気がしたのです。
意を決して、二度目の入場を試みました。案の定、鋭い視線が私を射抜こうとしたその時、一人の年配の女性が、私の肩をそっと抱き寄せたのです。
「この子、私の連れやから。な、一緒に行こか」
驚いて顔を上げると、おばさんは悪戯っぽく微笑んでいました。事情を話すと、彼女は深く頷き、「あんた、変わった子やなあ。でも、馬が好きなんやったら、しっかり見ておき」と言って、私を「保護者同伴」の形にしてくれたのです。
当時の競馬場において、純粋に馬を愛でる若者は、文字通り「稀有な存在」だったのでしょう。あのおばさんの優しさがなければ、私の最高の思い出は、門の外で終わっていたはずです。
淀に響いた、怪物の最後の咆哮
いよいよ始まった、1995年の阪神大賞典。 単勝支持率は、驚異の「1.0倍」。元返し。それは、勝つことが前提の、全観客からの信頼という名の重圧でした。
しかし、ナリタブライアンにとって、そんな数字は何の意味も持たないようでした。 ゲートが開き、長丁場の3000メートルが幕を開けると、彼はただ、自分の強さを証明するためだけに走っていました。
直線に向いた時の、あの圧倒的な手応え。 他馬が必死に鞭を入れる中、主戦の南井克己騎手の手はほとんど動いていないように見えました。そこからは、独壇場。
2着のハギノリアルキングに、決定的な7馬身差。
それは、残酷なまでに美しい力の誇示でした。「今この瞬間、この馬こそが世界の中心だ」と確信させるに十分な走り。しかし、同時にそれは、故障という暗雲が立ち込める前の、「最強のナリタブライアン」が見せた最後の純粋な輝きだったのかもしれません。
その後の天皇賞(春)を怪我で回避することになる彼にとって、この淀での大勝は、怪物の時代の終焉の始まりだったのかもしれません。
1996年、VHSに刻まれた伝説
翌1996年。舞台は阪神競馬場に戻りました。 今度はマヤノトップガンという新たなる強敵を迎え、あの伝説の「マッチレース」が繰り広げられた阪神大賞典。
阪神は当時の私には少し遠く、現地へ行くことは叶いませんでした。今では当たり前のようにJRAのWEBサイトやYou Tubeでレースが見れますが、当時はそんなものはありません。部活の帰りにスマホで結果や動画を見れる時代でもありません。部活から帰り、急いでテレビのスイッチを入れ、録画していたビデオテープを再生します。
画面の中で、ブライアンとトップガンが、互いの意地をぶつけ合い、他を突き放して並走する姿。 「ブライアン! 差せ! 粘れ!」 一人きりの部屋で、私は叫んでいました。何度も、何度も、テープが擦り切れるほど巻き戻しては、その死闘を胸に刻みました。あの1分1秒の攻防に、私は勝負の厳しさと、それ以上に美しい「馬の魂」を見たのです。
夢の続き、そして今
あれから30年近い月日が流れました。 獣医になるという私の野望は、形を変え、今は別の道を歩んでいます。しかし、あの春の日に淀で見た、漆黒の馬体。警備員につまみ出された恥ずかしさと、それを救ってくれたあのおばさんの温もり。そして、圧倒的な差でゴールを駆け抜けたブライアンの姿は、今も私の心の原動力であり続けています。
ナリタブライアン。 彼を超える馬は、これからも現れるかもしれません。しかし、一人の少年の人生を揺さぶり、競馬という宇宙の深淵を見せてくれた「最強馬」は、後にも先にも彼しかいません。
あの阪神大賞典は、私にとって単なるレースの結果ではありません。 それは、夢を追いかけ、挫折し、それでも誰かに支えられて前を向いた、青春そのものの記憶なのです。

コメント